重ね煮ヒストリー

【譲原聖子“重ね煮”ストーリー(1)】喘息とアトピーと共に成長した幼少期

喘息とアトピーと共に成長した幼少期

 

 

1985年
横浜で3人兄弟の次女として誕生しました。

 

人見知りで、
いつも2歳年上の
お姉ちゃんの後ろに
隠れているような

恥ずかしがり屋の子供でした。

 

 

そんな私は
喘息とアトピーがあり
ステロイドによくお世話に
なっていました。

 

 

季節の変わり目になると
いつも喘息発作がでて
苦しくて眠れなくなって
しまうこともありました。

 

 

そんな時には、
お母さんが背中をさすってくれて
夜中でも病院に連れていってくれて

 

ステロイドを吸入していました。

 

 

そんな私は、
学校を休むこともよくあり
体も心も弱く、
居るのか、居ないのか
分からないような
おとなしい子供
でした。

 

 

 

自分に自信がなく、
いつも誰かの顔色
ばかり気にしているような
子供でした。

 

 

 

特にこれと言って
得意なこともなく、、

 

自分なんて、、、

 

どうせ、、

 

そんな風に自分のことを
思っていました。

 

自分とは性格の違う同級生を見ては
うらやましく思っていました。

喘息、アトピーが治ると今度は、、

 

小学4年生頃になると
アトピーや喘息は収まって
いましたが、

 

 

今度は、
小6から始まった生理。
ですが、

生理不順、不正出血を常に
起こすようになっていたのです。

 

 

それは、
今思うと心と体のバランスが
上手く取れていなかったのでは?
と思っています。

 

 

赤ちゃんの頃に
アトピーを発症し、
次に喘息に移行しました。

 

これは、
アレルギーが肌から
粘膜に移行したのだと
思います。

 

 

いわゆる
アレルギーマーチです!

 

 

からだと心をしっかりと整える
ことができないまま
大人になってしまいました。

 

 

そのことに気づかせてくれたのが
結婚と出産という経験でした。

 

 

ここから次回に続きます。

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この記事を書いた人

譲原聖子 菜の花 重ね煮アカデミー

譲原 聖子
重ね煮アカデミー® 菜の花 代表

次女が生後4か月で重度のアトピーと診断。もともと料理が苦手。カンタンで油も砂糖も使わない「重ね煮」に出会い、娘の肌が数ヶ月で無理なく改善。 同じようにアレルギーのお子さんを持つママたちに「重ね煮」で健康になる知恵をお伝えしています。

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